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質屋って何?



◆質屋とは◆

質屋が他の金融機関と異なるところは、預けた品物の価値の範囲内でお金をお貸しする『質預かり』にあります。 お客様からお預かりした大切な品物は、ご融資 期間中は担保として質蔵で大切に保管しております。 最近では、『質預かり』だけでなく、『買取り』や『店頭販売』を行っている質屋も多くなってきておりま す。

◆質屋の由来と歴史◆

質屋は萬商業の中でも最も古いものの一つとされ、日本においても「質屋700年の歴史」というほどその歴史は古く、 鎌倉時代初期にまでさかのぼります。

その時代には質物を土の倉に入れられており、そこから質屋業のことを「土倉(とくら)」と称されていたようです。 このことは、歌人・藤原定家の日記「明月記」(1234年)の中にも記されています。
質屋業は当初、「造り酒屋」や「不動産業」の兼業として始められた説が高く、 鎌倉・室町・安土桃山時代と戦国動乱の中で、日本の金融経済は質屋が支配していたと言っても過言ではありませんでした。

室町時代には庶民の金融機関としての地位を築き、 必要に応じて日用品を担保に小金を用立てる便利なシステムとして受け入れられました。


江戸時代に入り、寛永年間には現在の質屋営業法の基礎となる<質屋取締令>が施行され、 質屋の機構はほぼ完成し、「土倉」という呼び名が「質屋」に変わったのです。
元禄年間における経済の高度成長によって質屋は最盛期を迎え、 両替商つまり大名質、旗本・御家人を対象とした質屋である札差(*1)等の制度が確立。


そのため、江戸時代の「質屋」=「両替商の副業」というイメージが強いですが、 実はその多くは、味噌、米、酒も扱うような「よろずや」のような庶民の生活に根付いたものだったようです。
ところが、享保年間になると、将軍吉宗によって断行された享保の改革(1716年)によって、 「質素こそ美徳、物を大切にする(諸事節約)」の時代へと変わり、不況時代へと時代は移り変わっていきました。

 

これを反映し質屋の需要が急増。
当時の江戸の人口が75万人に対し質屋の数2700軒余、人口約300 人あたりに1軒と驚異的なものとなりました。 (現在の東京の人口は1270万人に対し、質屋の軒数は約600軒弱。このことからも、当時の質屋の利用度の高さが伺えます)


明治維新を迎えると、それまで我が国唯一の金融機関でもあった大手両替商兼業の質屋が、 ヨーロッパの新しい金融制度の流入により銀行などに転業する中、 よろずや的「街質」が、現在も「質屋」として営業を続けているわけです。

近年では銀行が庶民の預金も受け入れるようになったため、昭和30年ごろをピークに「小質」利用は減少し、 質草は次第に高価な物へと移り変わっていき、現在の主力はブランド商品や貴金属類となり、 質預かりよりも買取りでの利用比率が高まってきています。

(*1)札差:貨幣経済が発達した江戸時代、旗本や御家人は、 俸禄として受け取った米を米問屋に売却し<金子(きんす)>を得なければ生活ができません。 そこに目をつけたのが「札差」。100俵につき金3歩という低価格で請け負ったのが始まりです。

 


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